高等部2年・文世奈さんエッセイコンテストで特別賞受賞!

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本校KIS高等部2年の文世奈さんが、『国際協力エッセイコンテスト』に応募(https://www.jica.go.jp/hiroba/program/apply/essay/index.html)、中高で(なんと!)8万点近い作品から、「国際協力特別賞」を受賞しました!

このコンテストは、次の世代を担う中学生・高校生を対象に、開発途上国の現状や開発途上国と日本との関係について理解を深め、国際社会の中で日本、そして自分たち一人ひとりがどのように行動すべきかを考えることを目的として実施しています(HPより)。

びっくりしたのが、このコンテストの実施は、なんと(!)すでに56回を数え、今回、約8万点の応募があったそうです。この中から、文世奈さんは、選ばれたんですね(しみじみ…)。

受賞した面々、彼らの在籍校を見ると、日本でかなり有名な学校ばかりです。その中で、“リトルジャイアント”を目指す、我がKorea International School-コリア国際学園中等部・高等部の名前が。。。ついつい、涙ぐんでしまいました(えらいぞ、せな!!!)。

彼女は、中等部3年1月より約一年、オセアニア、南太平洋の島嶼国、フィジー共和国にある姉妹校、サンガム・カレッジ高校へ長期留学しており、そこで、まさにsurvive、つまり、生き抜いた、あるいは、生き残った、その壮絶な経験を、ある種の爽快感・清涼感をともなう程に、ポジティブ転換し、自分の血とし肉とした文章を展開してくれました。

彼女の文章を読み、あらためて感じたことは…

『留学とは、単に、言語能力を獲得するだけにあらず』ということ。清濁併呑ということばがありますが、つらいこともあったでしょう、人知れず泣いたこともあったでしょう、けれど、それらを含み、安易に選り好みせず、“なんでも呑み込む”、その覚悟が大事なのだなあ、ということです。

文世奈さんは、来月東京で開催される授賞式に、ご家族とともに招待されます(なんと!交通費と宿泊費が支給されます!先生も行きたかったなあ。。。!!!)。

前振りが長くなりました。以下に、『国際協力特別賞』受賞したエッセイの全文です。。。!;

(国際交流推進担当/留学担当/社会科/高等部2年担任:池田 大介)

 

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私は、約一年をフィジー共和国で留学生として過ごした。過ごしてみて辛かった事も、今となっては素晴らしい経験をすることができたと、誇らしく思う。彼の地には「人々が共に生きるための心得」があったように思う。

かつて英国の植民地であったフィジーには、陽気でのんびり屋のフィジー人が約六割、インドから強制連行された、約三割の働き者のインド人がマイノリティーとして暮らしている。この様に、性格が違う二つの民族だが、現地の人達に共通しているのが、物を所有することに無頓着なことだ。それを象徴するのがフィジー語の「ケレケレ」で、「お願い」に当たる。例え知らない人でも、これを言って、お願いすれば食べ物等を分けてもらえたりすることのできる、正に「魔法の言葉」なのである。ある日、学校でペンを貸してと言われたので貸したのだが、ありがとう、と言って返してきたのは左隣の別の子だった。いわゆる初めての“ケレケレ体験”をした私は、予想外の結末に、少しびっくりした。でも、なぜか嫌な気がしないのは、彼らが笑顔で私に感謝をしてくれたからだと、すぐに感じたので、ほっと嬉しい気持ちになった。しかしケレケレを何度も繰り返されると、私も嫌気がさし始めて来る。しかし、同時にあることに気づいた。私達は知らず知らずの内に自分の所有物に対しての”執着”が大きくなってしまったという事実である。つまり、きっちりとした傾向の日本人は「自分のもの」という線引きにこそ、こだわり過ぎてしまう傾向にあるということにある。逆にフィジーの人達は、同国人だけでなく、目の前にいる人を巻き込んだ「共有文化」が、強く根付いている為、自分も受け取り、それと同じ様に見返りなしに相手に与えることができる。それに、ケレケレを繰り返すと、彼らも失礼と感じるので、お互い”間合いのとれた”信頼関係が成立するケレケレができるのである。つまり、フィジー人が皆、親切というよりは、これがフィジーという生き方なのである。

それと、もう一つ心に残ったエピソードがある。私はインド人の家族の元でホームステイをした。ある日、食事を終えて日本地図を描きながら日本のことを彼らに話していた。とても興味深そうに聞いてくれた後に、彼らの祖先についても、私に話をしてくれた。その中で「私達は白人に騙されてここに来たのだ」と、ある種過激な言葉を、さらりと、あっけらかんに、しかも終始笑顔で言ったのだ。私はそのギャップに非常に驚いた。なぜなら、私は在日コリアンとして生まれて、コリアと日本の文化をバランス良く受け継いだ。その中で、世間の一部の人達による、マイノリティーへの反応が、近頃特に、問題となっている事に心を痛めていた。なので、このファミリーの反応は凄く新鮮であり、同時に、ハッと気づかされた瞬間だったのである。彼らは過去を忘れてはいないが、許している。そして彼らの視点は確実に未来を向いている。私はこれを見て、まずは自分の身近にいる人に対して「みんなが一人ひとり違うのだ」と、いうことから、今一度確認したいと思った。過去のルーツを踏まえながら、次世代に向けた解決の方向に目を向けることから、始める事が大事だと、気づいた瞬間であった。しかし、お互い理解し合って国境の壁を越えようとしても、実際は難しいところがある。また、理解しようとするあまり、相手にばかり合わせようとすることも、国際人の資質とは思わない。これらを認知したうえで、国際人として振る舞う姿勢こそが、大事だと思う。時には、両者がせめぎ合うこともあるだろうが、それも、「共に生きること」なのだ。

今まで相手が、どれだけ害を加えてきたとしても、好き嫌い表明する自由を振りかざすだけでなく、未来の自分たちがどうありたいかを思い描きながら、進むべきではないだろうか。

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