教養科「哲学ゼミ」-「生きる」ことの意味を考える。

10月29日、金泰明先生(大阪経済法科大学教授)による今年度後期の教養・Liberal Arts科「哲学ゼミ」の授業が行なわれました。
後期LA科授業は、この他選択科目として「平和学ワークショップ」、「自己表現ワークショップ」、「国際関係ゼミ」があります。
放課後の時間にあたる8限目・9限目の選択授業でしたが、高等部の生徒を中心に20名の生徒が受講しました。
「ああでもない、こうでもない」と考えることは、KISの生徒の特長かもしれません。今回は「生命」-「生きる」ことの意味を考えるがテーマでした。

 
冒頭、金先生の「『生きる』ことの意味は『殺す』こと、すなわち生きるためには誰かを殺して生きる、このような代謝の中で生命は生きている」という提起から授業は始まりました。
金先生は動物社会では、このような新陳代謝はごく当たり前だが、人間社会では日々の生活の中では「殺す」ことは禁じ手とされ「死」は隠蔽されているので「生きる」とは「殺す」ことだと実感できない、と語りかける一方で、生徒達に「生きる」ことの意味は何かを問いかけました。

あるテレビ番組に出演していたタレントの事例を紹介しながら、「自分のペットの子ブタが死ねば、どうする?」という問いを生徒たちに投げかけました。
答えが「埋めてあげる」という意見が大半の中、数人の生徒は「食べる」という答えを出しました。
何故「食べる」発想になったのか数人の生徒に聞くと、理由は「特に理由はなくとっさに思った。
自然にそういう風に思った」という答えに、金先生は、「死」そのものをどう受け止めるかは、それぞれの文化・生きてきた背景によって違うものである、と語りかけました。
ちなみに、欧米で育ったこのタレントの答えも「食べる」というものでした。欧米では死に向き合う時に、誰かに食べられるなり自分が食べることによって最後まで愛してあげるという考えもあるとのことでした。

ここで金先生は、ドイツの哲学者ヘーゲルの「食べる」についての考えー「相手の存在を“無”にすること」―を紹介しつつ、では人間同士ならばどうだろう?
と生徒たちに再び問いかけました。ここから授業は、近代国家の成り立ちや現代社会での親密な他者(家族や仲間)と見知らぬ他者との共生の思想と作法が求められる社会などについて展開されていきました。
生徒たちと金先生が、一生懸命に対話している雰囲気が伝わる授業でした。



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