文学と芸術に彩られた街、パリ、そして、ハイデルベルク…(´∀`)!
今回、日本ユネスコ協会連盟と三菱東京UFJ銀行が主催(後援:日本ユネスコ国内委員会)する…
『ESD高校生作文コンテスト』に、KISの学生が応募し、KIS UNESCO クラブの、当時の共同リーダー(もう一人のリーダーは朴苑善さん)の『姜瑜羅』さんが、厳しい審査を通過し、見事入賞!
課題作文である『持続可能な社会を目指すため私に出来ること』に、
サブタイトル、『~(私の)責任と責任感に関する一考説~』を冠し、母国韓国を離れ、日本に生きる姜瑜羅さんが、十台の瑞々しい感性と、KISで培った“越境人スピリット”に裏打ちされた理性的な視点で、自らの生き・活きた体験を、まっすぐに語り・綴り、今回の栄冠を獲得しました!
姜瑜羅さんは、高等部1年より、『日本・大韓民国・中華人民共和国高校生3ヶ国国際フォーラム』や、昨年末に開催された『アジア太平洋地域高校生8ヶ国国際フォーラム(日本・韓国・中国・フィリピン・タイ・インドネシア・ラオス・ベトナム)』に参加してきました。
以下が、入賞作文です:
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「持続可能な社会を目指すため私に出来ること」
~責任と責任感に関する一考説~
姜瑜羅
私が考える「持続可能な社会」とは、これから先もずっと続いていく社会のことです。
言葉や文字にすると非常に単純で、社会が続くなんて当たり前のように感じます。しかし実際にその社会を創ることは言葉のように簡単ではないようです。
近年、インターネットが急速に普及したり都市化が進んだりと、文明が発展し生活は一見便利になっているように見えますが、資源やエネルギー、時間や人々など全てには限りがあります。
人々の数に限界はあっても欲望には限界がありません。
このまま、便利さだけを求め、刹那的な発展を遂げていくと様々なものが底をつくに違いないです。
つまり今を生きている私たちが、有限なものをいかに未来に残し、どのような未来を創るかにかかっているのです。
ですが多くの人々が便利さだけを求め行動してもすぐに影響が出るわけではなく、何十年や何百年と長い時間が経った後にようやく何らかの影響がでてくるのでしょう。
これが、持続可能な社会を形成するということを他人事のように考えさせる第一の原因だと思われます。
しかし私たちが先のことを考えず今だけを考え、取り返しのつかない未来になった時。
その未来を創った私たちに責任はあるといえるでしょうか?
例えば「どうせ私ひとり節電したところで地球温暖化はなくならい」と思ってしまう人がほとんどでしょう。
確かにすぐに現状が変わることはありませんが「今」の連続が続いていき未来が在るのです。
つまり、未来は「今」を生きている私たちにも必ず関係があると言えます。
例え私たちが未来に対し時間的に責任はとれないという議論はあっても、“責任感”を持つという“責任”は十分にあるはずなのです。
私は、国籍と生まれが韓国で日本育ちの韓国人です。
幼いころから10年以上、私は日本に住んでいて、人とは違う経験をたくさん経験し学んだように思います。
いくら住み慣れている日本でも私はあくまでも外国人であり、それは事実として変わりありませんでした。
日本人になることを望んでいた訳でなく、ただ単に私は国籍や出身地で人を判断し評価することがとても理不尽だと感じて生きてきました。
今までの私の理不尽な経験を通して皆同じ人間なのだから“差別”のようなものはしないと私自身が無意識的に決心をしていました。そのため、人を国籍などの枠組みだけで評価することを当たり前のように理不尽に感じたようです。
個性や文化、人それぞれ違うことは当たり前なのです。違い自体を理解できなくても認め受け入れることで自然に人と人は繋がり合えると思います。
他国の異文化を知り、違いを認め受け入れることでその人同士の信頼が深まり繋がり続けます。
そしていつかは国同士関係にもきっと影響を与えるでしょう。
このように、文明の発展を求め過ぎない社会や人と人、国と国などの繋がりを大切にする社会も持続可能な社会だと思います。
そう実感させらせたのは、去年の夏にフィリピンを訪れた時です。
私は富裕層と貧困層の両方の生活を現地で経験して来ました。そこで実際に私は激しい貧富の差を目の当たりにし「このままでいいのかな」と思わされたのです。
しかしその時、この問題をただ単に問題としてのみ認識するのではなく、何らかの行動に移すなど、現状を知らない人々に対し発信をする義務を感じました。
そして日本に戻り実際に報告プレゼン会を実施し、現在は私たち学生による可能な範囲で災害援助の活動をつづけています。
私が思うに持続可能な社会をつくるために私にできることは、日常に溢れています。例えば具体的な行動として、“電気を消す”や“物を元あった場所に戻す”など、日常的に私が母から注意されているような些細なことです。
これらの行動が直接的に社会に影響はしませんがこれらの行動に至るまでの心がけこそが必ず私たちを変え社会を変える鍵だと思います。
そしてこれは、こんな私にでもできることなのです。政府や国家などの大きな権威を備えた組織ではなく平凡な高校生だからこそ考えられた “私にできること”です。
私は2012~13年の2年間、「アジア3ヶ国高校生国際フォーラム」と「アジア太平洋地域8ヶ国高校生国際フォーラム」へホスト側また学校代表の一員として参加してきました。
このフォーラムは、未来を担う世界の高校生が時間と機会そして場所を共有し「持続可能な社会」を創っていこうとするものです。
また、その内容は最後に宣言文にまとめ世界に発信します。
私はこのフォーラムを通して、多くの知識や考えはもちろん、「伝えること」や「継続」の大切さを学びました。
例えば「持続可能な社会」というこの言葉を知ったのもフォーラムに参加してのことでした。
このように、何かきっかけがない限り身近に聞く言葉ではなく、それについて考える余地も尚更ないでしょう。
つまり変化を与えるには“きっかけ”が大切なのです。
そこで私は、“きっかけ”として自分の考えや学んだことを、学校で友達と共有しようと毎月実施される準備セミナー後に、毎回報告プレゼン会を実施してきました。
当初は5人とごく少人数の参加でしたが最終的には全校生徒の半分である40人近くが報告会に参加してくれました。これこそ私から報告会の参加者への発信、また参加者から参加者へと続く発信の連鎖なのです。
つまり、よく耳にする口コミという社会現象のようなものです。こうやって、何かを「共有」し「発信」し続けることは自然に新たな発信を作り出します。
持続可能な社会を目指す上で私たちにできることはたくさんありますが、それを他人事に考えることで可能性は大きく減るはずです。
このことを踏まえ私は、身近な生活に身近に溢れている社会への心がけなるものを積極的に形成するためにも、自分の経験や考えを周囲に発信し続けたいです
。また、これらが持続可能な社会を目指すうえで私にできることなのです。
KIS UNESCO Club担当:池田 大介